小松菜の日は剣菱とともに小松菜料理を

小松菜の日は剣菱とともに小松菜料理を

5月27日は小松菜の日です。

こ(5)まつ(2)な(7)の語呂合わせにちなみ、大阪で小松菜や菊菜の生産を行っている株式会社しものファームが制定しました。小松菜の消費拡大を目的としており、この日には小松菜の収穫体験などが行われます。

冬野菜の代表格、小松菜

小松菜はアブラナ科の葉物野菜で、別名を冬菜や鶯菜といいます。

一年中出回っていますが、霜が降りると葉が厚くやわらかくなり、アクが抜けて甘みが出るため、12月~2月が最も美味しい時期になります。

青菜が少なくなる冬場に重宝する、関東の冬野菜の代表格で、白菜やほうれん草と並んで親しまれています。使いやすく親しみやすい味わいは、炒め物やおひたしなどはもちろん、朝のスムージーなどにも向いています。

小松菜は江戸川の特産野菜で、東京都江戸川区の小松川という地名にちなんでその名がついています。

ちなみに、この名をつけたのは徳川吉宗。「暴れん坊将軍」で知られる江戸幕府の8代将軍です。

鷹狩の食事がきっかけに

徳川吉宗は鷹狩を好んだと言われています。

鷹狩は文字通り、鷹を飛ばして獲物をとるものですが、鷹には自分の体より大きなものを襲わない習性があります。

その鷹を訓練することで、水鳥とともに飼っておいた鶴を襲わせ、自分の権威を示すものでもありました。

鷹狩を行うときは、狩場周辺の神社や寺で食事を取りますが、ある時、現在の新小岩香取神社に立ち寄り、食事をとることになりました。

神主の亀井和泉守が悩んだ末に、自身の屋敷で小松菜と餅の入ったすまし汁を振る舞ったところ、吉宗はそれをたいそう気に入り、入っていた小松菜をさして、「これは何という野菜か」と尋ねました。

しかし当時、小松菜にはまだ名前がついていなかったのです。

そこで吉宗が、地名をとって「小松菜」と名付けました。

中国から日本に小松菜が渡ってきたのが鎌倉時代。400年の時を経てようやく名前がついたのです。

鷹狩や鹿狩りで親しまれたお酒

江戸川周辺で鷹狩を好んで行っていた徳川吉宗ですが、現在の千葉県松戸市には幕府の牧場があり、鹿狩りも行っていました。

鷹狩や鹿狩りは、戦いの訓練や村を見て回る目的があり、動物を追い込むために多くの庶民が参加したと言われています。

狩場近くには御殿が建てられ、そこで休憩や食事、さらには宿泊をしていました。

ときにはお酒を酌み交わすこともありましたが、当時「御膳酒」として収められていたのが剣菱でした。

伊丹で造られる銘酒として知られ、庶民の間でももてはやされていた清酒です。

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名前のない酒だった剣菱

剣菱は1505年に稲寺屋として伊丹で創業し、当時から変わることなくその味を継承している酒蔵です。

創業当初のことは当時の文献に残っていますが、現在とロゴマークは変わらないものの、造っていた酒がなんという名前で呼ばれていたのかは記されていないのです。

剣菱の名が出てくるのは、江戸後期の文豪・頼山陽の記述で、「江戸の人々の間で評判になるにつれ、江戸の人々が『剣菱』と呼ぶようになり、それが名称となっていった」、というもの。

剣菱はそれまでの300年間、名前がなかったことになります。

そういう点では小松菜と近いものがあるといえ、昔の人々があまり名前にこだわっていなかったこともうかがい知ることが出来ます。

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炒め物やおひたしなどに良い小松菜は、カルシウムが多いことで知られる野菜です。

その量は、同じ青菜であるほうれん草の約3倍。

アクが少なく日本酒にもよく合います。煮浸しや和え物などを作って、剣菱とともにいただくのもいいのではないでしょうか。

江戸の昔に庶民が親しんだ味は、将軍も楽しんだもの。おいしいものの前には誰もが等しくいられることを、当時の食が知らせてくれますよ。

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