ビールはいつから作られ、どのように広まっていったのか?

ビールはいつから作られ、どのように広まっていったのか?

現在では世界中の人に身近なお酒として楽しまれているビールですが、その歴史は非常に古いものです。古代メソポタミアやエジプトで発明されたビールは、フランク帝国の成立と共にヨーロッパに広まり、産業革命によって大量生産が始まり、今日の姿となりました。

今回はビールがいつから作られ、どのように世界へと広まっていったのかを紹介します。

ビール工場

古代のビール

ビールの歴史はとても深く、はるか紀元前にまでさかのぼります。紀元前4千年前のメソポタミア文明のシュメール人が記した粘土板には、既にその製法が記されています。また、紀元前3千年前の古代エジプトの壁画でも、ビール造りの様子が描かれています。

この当時のビールは、麦芽を挽いて焼き、パンのようにしたものを水につけて自然発酵させたものでした。糖をアルコールにする技術が低かったために、清涼飲料水のような甘めの味であったようです。これらの文明ではビールはとても重要な物であり、役人や労働者の賃金の一部はビールで支払われ、ビールを水で薄めれば厳罰が下されるほどでした。

この時代から、黒ビールや褐色ビール、強精ビールなどの様々な種類が存在し、エジプトでは醸造のためにナツメヤシやはちみつを使うなどの工夫がされていました。また、腐敗を防ぐためにハーブなどの薬草を加える技術もすでに開発されており、現代のビールと同じようにホップも使われていたのではないかと推測されています。

ヨーロッパのビール

ヨーロッパに伝わったビールは、まずは北方のゲルマン人たちの間に広まりました。紀元前1800年ごろには、ヨーロッパでもすでにビールが製造されていたことが判明しています。ゲルマン人のビールは麦芽を砕いて直接入れて作る物で、パンの延長であったメソポタミアやエジプトのビールに比べると、より「お酒」としての性格が強い物でした。

当時のヨーロッパの支配者であるギリシャやローマにも、エジプトとゲルマン人の両方からビールが伝わりました。しかし、イタリア付近では大麦はあまり育たず、良いビールは作れなかったようです。代わりにブドウは良く育つのでワインが一般的であり、ゲルマン人の文化であるビールは野蛮人の飲み物とみなされ、あまり普及しませんでした。

しかし、ローマ帝国が滅んでゲルマン人主導のフランク王国が勃興すると、ビールはヨーロッパ中に広まりました。このときにビールを広める役目を担ったのが修道士たちです。キリスト教ではパンはキリストの肉とされており、「液体のパン」であるビールは教会や修道院で盛んに作られるようになったのです。断食の間の栄養補給や、収入源としてもビールは最適でした。

この当時、腐敗や変質を防ぐためにハーブや薬草を混ぜた「グルート」と呼ばれるものがビールの製造の際に使われていました。このグルートの製法は、現代では失われて詳細は明らかになっていません。

11世紀ごろになるとグルートにホップを使うと保存性が非常によくなることが発見され、12~13世紀になるとホップが広く使用されるようになりました。こうして、ビールの基礎が完成したのです。

15世紀に入ると産業のギルド(組合)制が発展し、ビールの製造の中心は修道士から市民へと移りました。そして19世紀にパスツールの殺菌法、リンデの冷却器、ハンセンの酵母純粋培養法によって、ビールを安定して大量生産することが可能となり、今日のビールの姿が完成したのです。

日本のビールの歴史

日本の歴史では、17世紀ごろにオランダから長崎の出島にビールが入ってきたと言われています。享保9年(1724年)にオランダからの使節団が江戸に入ったときには、第8代将軍の徳川吉宗にビールが献上されました。嘉永6年(1853年)には、蘭方医の川本幸民(日本の化学研究の祖)が、ビールの醸造を試みた記録が残されています。

日本初のビール醸造所は、アメリカ人のW・コープランドが明治3年(1870年)に横浜で設立した「スプリングバレーブルワリー」です。その4年後には国産ビールの「三ツ鱗ビール」が創業され、日本での本格的なビール製造・流通が始まりました。

この時代には現代の大手ビールメーカーの始祖となる醸造所を含め、様々な地ビール企業が生まれた時期です。
しかし、1900年に起きた義和団の事件を機に、日本政府は軍備増強のための税収増加を求め、新たにビールにも課税をするようになりました。
結果、多くの中小醸造所は最低製造数量基準を満たすことができずに相次いで倒産、もしくは大資本へと吸収されて消えていきました。

現代日本のビール

現代の日本では、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー、そしてオリオンの5社がビール市場での主力となっています。オリオンは沖縄ではメジャーですが、それ以外の地域ではあまり見ないので、実質的には4社として数えられることもあります。

長らくビール業界はこれら大手による寡占状態にありました。しかし、1994年の規制緩和によって地方の小規模醸造が多数生まれ、独創的なスタイルのビールが多数作られるようになりました。大手ビールメーカーでも、消費者の嗜好の変化に合わせるために様々な商品が新しく開発され続けるようになりました。

さらに、インターネットや物流の発達により、日本にいながら世界中のビールを購入することも出来るようになりました。まさに今こそが、ビールを楽しむために最適な時代なのです。

人類にとって最も古いお酒の一つであるビールは、数千年の時間をかけて複雑な進化を遂げ、様々な種類が生み出されていきました。

次回は、長い歴史の中で生み出されたビールには、どのような種類があるのかを紹介していきます。

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